シリーズ「グッド派遣レポート」

働く人と企業とともに時代を作る―東洋ワーク株式会社

東洋ワーク株式会社のここがグッド!

  • 「人間尊重」の基本理念
  • 多様な人材が活躍できる企業文化
  • 人材サービスから事業創造グループ企業へ

働き方改革関連法案の施行がはじまった2019年。個人が柔軟に働き方を選択でき、すべての人が活躍できる社会への方向付けが示されました。日本の経済発展を支えてきた終身雇用、年功序列といった日本型経営による働き方が、時代とともに変化したように、労働者と企業のあり方は、社会に流れを作るものでもありました。

宮城県仙台市に本社を持つ東洋ワーク株式会社は、人材サービス会社として40年以上にわたり、働く人と企業に寄与してきました。現在は同社を中心に、東洋ワークグループとして国内外に事業を展開し、8,800名のグループ社員数となるに至ります。
第1期新卒社員として入社し、現在は代表取締役副社長である猪又明美さん。「いろいろあったなんてもんじゃないくらい。とくに平成の時代は鍛えられましたね」と笑って話される言葉に重みを感じられました。今回は、同社から見える働き方の変遷を追いました。

猪又氏

高度経済成長期からバブル崩壊

東北地方は、農業や漁業がさかんな地域。春から秋にかけては農漁業を、雪に覆われる農閑期には、関東などで季節労働者として働く出稼ぎ労働が主流でした。例えば1964年東京オリンピックの建設事業には、東北からの労働者の存在が大きかったそうです。同社は1976年に創業、今でいう人材紹介業として、北海道から九州、沖縄にまで拠点を広げていました。
時は高度成長期。東北地方に高速道路などの交通網が発達したことで、大手製造業が東北に相次いで進出するようになり、遠方に働きに出ていた労働者にとって地元での就職先が増えることになります。のちにバブルが崩壊し、多くの拠点を閉鎖することになります。景気の波に大きく左右されてしまう経験から、人材サービスを中心にして事業を多角的に展開するようになったといいます。一時的な働き口として、当時は誰でも従事できた警備会社の設立や、障がい者就労支援を行う事業が生まれたのもこの頃です。

「そんなことをするわけがない!」

人材サービス業界に影響を及ぼしたのは、世界経済を揺るがした2008年のリーマンショックでした。日本産業も大きな打撃を受ける中、多くの労働者が働く場を失い、同社も人材派遣、請負の稼働数が半減。それだけでなく、非正規雇用を悪とされる感情的な報道のあおりを受けます。でっちあげの記事や根拠のない誹謗中傷に猪又さんたちは心を傷め、時には新聞社と口論になることもあったそう。「私たちがそんなひどいことをするわけないじゃない…!」
猪又さんたちは真摯に、企業や労働者、組合、関係者と向き合い続けました。「逃げるわけにいかない」資金繰りが悪化する中、業界に向けられた冷たい風は、堪えどころだったようです。

生きていくことを、東日本大震災から

なんとかしのぎながら経営が持ち直したところに起こったのは2011年の東日本大震災でした。時間が経つにつれ見えてくる被災状況。「惨憺たる状況の中で、天災だから会社はもうこれで終わりです、なんて絶対に言えない。会社として彼らに、これからどう生きていこうと声をかけられるのだろう」
猪又さんは震災の翌々営業日には大きな決断をします。「派遣先がなくなったり休業になって働けなくなっても、当社は解雇しません。給料を100%補償するから、まず身の安全と生活の立て直しに集中してください」経営が大丈夫なのか立ちいかなくなるのかなんて計算していられない、本能的な判断だったと言います。
どうせ潰れるなら『お給料をすべて支払ってお金がなくなりました、だから万歳します』のほうがいいなと思って」沿岸部における400名を超える被災スタッフに100%の給料を支払い、食料や水を各営業所に送り続けました。石巻営業所では常に鍋を絶やさないように作り、訪れる社員や派遣スタッフにふるまうようにしたそう。全員の安否確認には1か月を要したといいます。
そんな中、4~5日後に朗報が届きます。東京の協会仲間が動いてくれて、雇用調整助成金を受けられることになったというのです。「腰が抜けるほどホッとしましたよ。首がつながったー、って」
徐々に落ち着きはじめたころ、今度は派遣スタッフが次々に営業所に訪れるようになったそうです。お礼を伝えるため、中には田舎からご両親といっしょに来られるスタッフも。
このお話の時、ようやくほっと優しい表情を見せてくれた猪又さん。東日本大震災がとうてい言葉にできないほどの出来事であったことは、慎重にお話しをされるご様子から伺えました。

集合写真
▲パレットやプラスチックかごの洗浄を行う株式会社クリーン&クリーンを立ち上げ、障がい者雇用を創出

人ってすごいな

同社が幾多の波を乗り越えてこられた背景には、人への向き合い方が表れているのではないでしょうか。基本理念である「人間尊重」に通じる姿勢です。
猪又さんは話してくれました。
「人ってすごいなと思います。近年は東北だけでなく各地で自然災害が起きていますが、大変な状況でもやっぱり前を向いていこうって未来に目を向けられるのです。今生まれ変わる町を見ている子どもたちは、これから時代を創っていく人。仮設住宅で暮らす経験や、避難所で人とのかかわり方を経験した子どもたちが、きっと知恵を出し合って助け合いながら未来を切り拓くと思っています。」
未来は明るい、とはっきりおっしゃるのは、すべての人の持つ力を信じ、尊重しているからこそ。猪又さんの目に、一人ひとりはどのように見えているのでしょう?
人それぞれに生き方があれば、働き方がある。働くことに課題を持つ障がいのある方や高齢者、そして国境を越えた外国人も同じこと。現在同社では、さまざまな個性を持つ人たちが働くことを通じて活躍しています。ダイバシティの考え方が普及する以前から一人ひとりにスポットライトが当たるステージをプロデュースしてきた同社。創業精神である「人間尊重」をベースに、これからの一人ひとりが活躍できる時代を、ともに作り上げていくように思います。

Interviewee

代表取締役副社長 猪又 明美氏

企業概要

東洋ワーク株式会社

  • 設立: 1976年
  • 代表者: 代表取締役社長 須佐 尚康
  • 本社所在地:〒980-0803 宮城県仙台市青葉区国分町1-7-18 白蜂広瀬通ビル5F
  • グループ会社:東洋ワークグループ
  • オフィシャルサイト http://www.toyowork.co.jp

事業内容

アウトソーシング(請負)事業 ・ 一般 / 製造労働者派遣事業 ・ 国際事業・ 福祉事業 ・ 有料職業紹介事業 ・ 紹介予定派遣事業 ・ 再就職支援事業

この記事の著者

AsanoAkira

AsanoAkira

大学卒業後、大手住宅メーカーに3年勤務したあと、さまざまな社会を経験したく派遣社員として6社を渡り歩く。景気悪化による失業を経験したことも。6社目の経営コンサルタント会社で一般事務からコンテンツ制作業務に転身。以降、直雇用での約12年間は、企業経営の現場で経営事例などのべ200人以上の取材執筆、編集に携わり、「経営は人。人生そのもの」と知る。現在はライフコーチなどを通じて、100年人生を思い通りに動かしたい人たちと未来創りに参画している。
詳しくは「ライター紹介」ページをご覧ください。

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